誰も、その日は知らない 2006 6 30
その日、その時 No One Knows the Day and Hour 2005 10 3
その日、その時は、誰も、知らない。
天使たちも子も、知らない。
ただ、父だけが、ご存じである。
人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。
洪水になる前は、ノアが箱船に入る、その日まで、
人々は、食べたり、飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。
そして、洪水が襲って来て、
一人残らず、さらうまで、何も気がつかなかった。
人の子が来る場合も、このようである。
「マタイによる福音書 24 Matthew 24」
以下の文章は、日本を題材にして、全世界へ訴えたかったことです。
本当の豊かさとは 2005 3 16
「豊かさ」には、「物質的な豊かさ」と「精神的な豊かさ」があります。
もちろん、どちらか一方を否定するものではなく、
両者とも、バランスよく存在すべきです。
しかし、現代文明は、あまりにも「物質的な豊かさ」に偏りすぎています。
特に、今の子供や若者は、「豊かさ」には、
「物質的な豊かさ」と「精神的な豊かさ」の両面があると理解していなく、
「物質的な豊かさが、すべてだ」と思っている雰囲気すらあります。
これは、現代文明が作り出した「精神的な病」だと思います。
おそらく、「物質的な豊かさ」が持つ魔力に、
すっかり取り憑かれてしまっていると言えます。
近年、共産主義体制の崩壊で、唯物主義的な考え方も崩壊したと思っていたら、
いつの間にか、こうした唯物主義的な考え方が、再び甦り、
今の日本に広がっているのです。
つまり、「物質的な豊かさが、すべてだ」という唯物主義的な考え方が、
今の日本において、大きくなりつつあるのです。
しかも、問題なのは、生まれてくる子供が、次から次へと、
こうした「精神的な病」に染まってしまうということです。
この悪循環は、どこかで、何とか断ち切らないと、大変なことになってしまいます。
かつて、日本は、そして日本人は、
極めて精神性の高い国、あるいは極めて精神性の高い民族として、
諸外国に紹介されていた時もあるのです。
(唯物)
ただ物質のみが、真の存在であるとして、これを重視すること(広辞苑)。